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- 商店街の沿革
こうやストアー 神谷英晃
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室町~江戸時代
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この地域は、室町時代の200年間(1400~1600年)、花尾麻生氏の城下町で、行財政の中心地として栄えていました。この時代に、京都の八坂神社を勧請(かんじょう:神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること)して、祇園社を建て、地名も祇園町と呼ぶようになりました。境内には今市と言う定期市が開かれ、物資の流通、文化の発信地としても栄えました。
江戸時代には長崎街道が通り、江戸の情報や、長崎からは外国の情報が伝わりました。
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明治~大正~昭和時代
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明治34年(1901年)八幡製鐵創業とともに、社員のために前田官舎(社宅)が建設され、大正時代に製鐵の西部(前田)拡張工事と共に住宅が増え、長崎街道沿いに商店が建ち並ぶようになりました。祇園町は八幡製鐵所とともに発展して行きました。
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戦後~現代
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昭和20年8月の八幡大空襲で前田地区の中心的商店街が焼失し、焼け残っていた祇園町筋に店舗が移転し、原田市場(現堀川マーケット)を中心に商店が出来始めました。昭和24~25年頃に、ほぼ現況に近い規模(100店舗)になりました。
戦後復興とともに、八幡製鐵所の平野・桃園アパート群が、昭和27~28年頃から建ち始め、周辺人口の増加で商店街が賑わいを見せ始めました。昭和35年5月にアーケードが完成。昭和45年頃までが最盛期で、「さくら祭り」「八幡春まつり」「起業祭」を中心に、「祇園キングスタンプ」のサービス事業、伝統行事「前田祇園山笠」を復活しました。
平成に入ってからは、「七日市」「七夕祭」「秋祭」のイベントに取り組み、街の賑わいを演出しています。